出演者や関係者が次々と不幸に見舞われる「呪われた映画」。監督や映画のキャストやスタッフが悲劇に見舞われたり、不可解な体験、怖い経験をした有名な映画のまとめ。シリーズ出演者4名が急死した『ポルターガイスト』シリーズなど「呪われている」と語り継がれている大作をご紹介。
呪われた映画として有名なホラー映画・恐怖映画
『ポルターガイスト』シリーズ / シリーズ出演者4名の急死…「呪われた映画」の筆頭。
『ポルターガイスト』(原題: Poltergeist)は、1982年のアメリカ映画。ある平凡な一家を襲う怪奇現象を描いたSFXホラームービー。1986年に第2作『ポルターガイスト2』、1988年に第3作『ポルターガイスト3 / 少女の霊に捧ぐ…』が公開された。
出演者の怪死(恋人による殺害、原因不明の病による死など、ほとんどが若年層で最年少は12歳)が相次ぐという不幸が話題となった。呪われた映画の筆頭。
シリーズ出演者4名の急死により、『ポルターガイスト』シリーズは「呪われた映画」と称された。
『ポルターガイスト』でフリーリング家の長女の「ダナ・フリーリング」を演じたドミニク・ダンは、映画が公開された1982年11月4日に元恋人に自宅で絞殺され、22歳で死去した。
これが劇中で本物の頭蓋骨を小道具にした祟りと噂された。
あの有名な骸骨で埋められたプールのシーンでは、プラスチック製の骸骨より、本物のほうが安いという理由で本物の人骨が使われたのだ。これが原因で、呪われたという説もある。
トビー・フーパ監督の傑作ホラー映画「悪魔のいけにえ」では本物の人骨が使われていた。その方法はポルターガイストにも適用された。フリーリング家の長女の「ダナ・フリーリング」を演じたドミニク・ダンは、1作目の公開直後に元恋人に絞殺された。
ドミニク・ダンを殺害した犯人はレストランの副シェフで、1981年に知り合い、一時は彼女と同棲していた。しかし独占欲が強く、ドミニクに暴力を振るようになったため、ドミニクが別れを切りだし、2人は同棲を解消した。しかし、男は復縁を迫ってドミニク宅を何度も訪れ、ある日、男優と自宅で稽古中だったドミニクと口論になり、首を絞めた。懲役6年半の有罪判決が出たが、3年ほどで出所した。判決を不服とした両親は、犯人が出所後もしばらく行き先を調査しつづけた。犯人は再び料理人として働きはじめたが、ドミニクの父親の通報によってクビになったため、以後、名前を変えて暮らしている。
引用元: ウィキペディア(Wikipedia)「ドミニク・ダン」
1作目から3作目まで「キャロル・アン・フリーリング」を演じたヘザー・オルークは、『ポルターガイスト3』の撮影終盤の1988年2月1日に(原因不明の腸疾患であるクローン病と診断された)敗血性ショックによる心不全で12歳で急死した。
『ポルターガイスト』シリーズを通じて悪霊から狙われ続ける少女「キャロル・アン・フリーリング」を演じたヘザー・オルークが12歳の若さで急死。
2作目の『ポルターガイスト2』で悪役の謎の牧師の「ケイン牧師」を演じたジュリアン・ベックが作品公開を待たずに胃癌で死去(1985年9月14日)。
2作目の『ポルターガイスト2』でインディアン「祈祷師テイラー」を演じたウィル・サンプソン(Will Sampson)が公開翌年の1987年6月3日に腎臓疾患(心臓手術からの併発症)で死去。
エクソシスト(1973) / 多数の不幸がつきまとったために「呪われた映画」と言われた。
「エクソシスト」(1973年12月26日にアメリカで公開)では、映画監督のバーク・デニングズ役のジャック・マッゴーランとカラス神父の母親のメアリー・カラス役のバシリキ・マリアロスが公開前に亡くなったほか、映画に関わった9人が撮影中から公開直後に死亡した。もはや偶然とは言えないレベルだ。
公開時に劇場で見た人がショック死したという噂も流れた。また上映中、映画館の反対側の教会に落雷があったという話もある。これはあくまでも噂にすぎなかったが、撮影中から舞台となった家のセットが火災になり、焼け落ちた(原因不明の火事が起こりリーガンのベッドルーム以外のインテリアセットが全部燃えた)だけでなく、夜警や特殊効果の専門家が事故で死んだ。
クリス・マクニールの友人の映画監督の「バーク・デニングズ」役のジャック・マッゴーランは、映画公開前の1973年01月30日に死亡(インフルエンザにかかり帰らぬ人となる)。
デミアン・カラス神父の母親の「メアリー・カラス」役のバシリキ・マリアロスは、映画公開前の1973年に老衰で亡くなっています。89歳でした。
「リーガン・マクニール」役のリンダ・ブレアと「ランカスター・メリン神父」役のマックス・フォン・シドウは、撮影中に近親者を失っている。
死者こそ出なかったが、関係者を震え上がらせたのが火事でセットが全焼したこと。配給会社「ワーナー・ブラザース」がセットを作り直したときに悪魔祓いの儀式をすることを提案した。
…など本作には多数の不幸がつきまとったために「呪われた映画」と言われた。
映画が公開されると、鑑賞中に嘔吐したり、失神したりする人が続出した。中には流産したという人までいるという噂がある。また当時のシカゴ、ロス、ニューヨーク、トロントの精神科医は、映画を見て悪霊にとりつかれたという患者にしばらく悩まされたという話も残っている。
引用元: 見ている人ばかりでなく出演者やスタッフを恐怖に陥れた、呪われし映画ベスト10 : カラパイア
『エクソシスト』に放射線技師のアシスタント役で出演したポール・ベイトソンは、後に、ニューヨーク市で6人の男性を殺害し、遺体をばらばらに切断・遺棄した罪で有罪判決を受けた。
オーメン(1976) / 偶然にしてはあまりにも不幸な事故が続いた
『The Curse of the Omen(オーメンの呪い)』というドキュメンタリーまで製作されている『オーメン』。撮影前から奇妙な現象が起こり、出演者やスタッフは戦々恐々としていた…。
グレゴリー・ペックの息子が撮影前に自殺をはかった。撮影中、ペックや脚本家、プロデューサーの乗った飛行機が落雷にみまわれ、スタッフが宿泊していたホテルがIRAの爆弾テロにあい、トラが調教師を殺した。特殊効果担当のジョン・リチャードソンが交通事故にあい、助手が亡くなった。事故現場近くの道路標識には、オンメン(オランダの都市)まで66.6キロ(速度が66.6キロだったという説もあり)とあり、日付は1976年8月13日の金曜日だったという。
主演のグレゴリー・ペックは撮影が始まるわずか2カ月前に息子が拳銃自殺し、ロンドンへ移動中の飛行機が落雷に見舞われ、ロンドンでよく食事していた店が爆弾事件に遭ったこともあった。オーメンの避雷針が神父に突き刺さる有名なシーン。突然激しい風と雷が神父を襲い、落雷にあった教会の避雷針が宙を飛び、神父を突き刺した。
数週間後、エグゼクティブプロデューサーのメイス・ノイフェルドも落雷に見舞われたため、プロデューサーのハーヴェイ・ベルンハルトは、撮影中に機材が落雷被害に遭わないように対策したという。
他にも関係者が動物に襲われたり、自動車事故に巻き込まれたり、飛行機事故が起きるなど、偶然にしてはあまりにも不幸な事故が続いたため、当時のタブロイド紙は話題にしたという。
撮影中にはグレゴリー・ペックが演じる外交官を襲う設定のロットワイラー犬がスタントマンに噛み付いて大怪我を負わせた。さらには動物担当者(調教師)がトラに殺される事件が発生。
オーメンの有名な首チョンパ・シーン…映画史に残る衝撃的な首の切断シーン
特殊視覚効果担当のジョン・リチャードソンは、自分とアシスタントのガールフレンドが乗った車が事故にあって初めて、この映画の呪いの力がいかに恐ろしいかを思い知らされた。リチャード自身は怪我を負っただけで助かったが、同乗していたガールフレンドは首を切断されて死んだのだ。
プロデューサーのハーヴェイ・ベルンハルトは、「まるでこの映画ができることを望まない悪魔が働いていたかのようだった」と後に語っている。
トワイライトゾーン/超次元の体験(1983年) / 撮影中の不慮の事故でヴィック・モローとふたりの子役の3人が即死
『トワイライトゾーン/超次元の体験』は、1983年製作のアメリカ映画。ロッド・サーリングが生んだ人気SFテレビドラマシリーズ『トワイライト・ゾーン』を、ジョン・ランディス、スティーヴン・スピルバーグ、ジョー・ダンテ、ジョージ・ミラーという当時最も波に乗っていた4人の若手監督を起用して甦らせたオムニバス映画。
『トワイライトゾーン/超次元の体験』第1話「偏見の恐怖」(『TIME OUT』)に主演していたヴィック・モローの遺作となった。
ベトナム戦争のシーンを撮影中に落下したヘリコプターのローターに巻き込まれるという悲劇的な事故により、主演のヴィック・モロー、子役の陳欣怡(ルネ・チェン)と黎丁(マイカ・レ)の3人が死亡。当該シーンは本編からカットされ、エンディングは予定から改変を余儀なくされた。ベトナム人の子供の役を演じていた子役の陳欣怡(ルネ・チェン)と黎丁(マイカ・レ)は、落下したヘリコプターのローターに巻き込まれる。
1982年、ヘリコプターが上空を旋回するシーンを撮っていたとき、そばで花火のようなものが爆発した影響で、ヘリコプターが落下し、ヴィック・モローとふたりの子役の上に墜落(ローターに巻き込まれる)。3人とも即死した。
【閲覧注意】トワイライトゾーンのアクシデント動画(ヘリコプターの落下事故のシーン)
ヴィック・モローと子役のひとりはローターに頭を切り落とされ、もうひとりの子役はヘリコプターの下敷きになった。モローの遺体はバラバラだったという。
ヴィック・モローは複数の爆弾がしかけられた村から、置き去りにされた二人のベトナム人の子供を抱え逃げ出すというシナリオだった。そうすれば彼は罪から解放されると。
しかし、現実の撮影現場ではヘリコプターのパイロットが至近距離での煙火のために操縦を誤り、モローと子供の上に落下、彼らはローターに巻き込まれ即死した。その時の様子は3つのカメラで3方向から収められている。
1982年に、『トワイライトゾーン/超次元の体験』第1話(ジョン・ランディス監督)で、人種差別主義者だったのが、逆に差別される立場になってしまうという男を演じる。クライマックスであるベトナム戦争のシーンをロサンゼルス北80kmの砂漠にて撮影中、頭上から模擬爆弾の爆風を受けたヘリコプターが落下。共演していたベトナム出身の2人の子供と共にローターに巻き込まれて死亡(ヘリコプターの搭乗員は無傷だった)。このためにラストシーンが変更され、この事故のシーンは映画に採用されなかったが、日本の映画『ザ・ショックス 〜世界の目撃者〜』(日本テレビ製作)や、テレビ特番の衝撃映像集で数回取り上げられている。
引用元: ウィキペディア(Wikipedia)ヴィック・モロー
その後、子役の両親と、撮影現場での安全管理の不徹底を指弾したモローの遺族がそれぞれ訴訟を起こし、監督のジョン・ランディスら5人が訴追されたが非公開の補償金を払って和解にこぎつけた。この事故からランディスが負った精神的な傷は深く、彼はこのショックを長く引きずることとなった。
ローズマリーの赤ちゃん(1968年) / ロマン・ポランスキー監督の妻のシャロン・テートが惨殺される(シャロン・テート・ラビアンカ殺人事件)
『ローズマリーの赤ちゃん』(Rosemary’s Baby)は、アイラ・レヴィンの小説、およびこれを原作とした1968年制作のアメリカ映画。悪魔の子どもを身ごもった女性の恐怖を描く。
映画プロデューサー(製作)のウィリアム・キャッスルは、悪魔崇拝者とされる謎の人物から「苦痛を伴う病気を発症するだろう」という手紙を受け取った後で腎不全を起こし、回復するまでに映画の成功で得た勢いは失われた。
映画公開から半年後の1968年12月、ポランスキーと同郷で音楽を担当したクシシュトフ・コメダは、同じくポーランド出身の脚本家だったマレク・フラスコらとの屋外パーティの最中、ふざけたフラスコに突き飛ばされて崖から転落し、脳血腫を起こして昏睡状態となった。また担ぎ込まれた先の病院はキャッスルが入院した病院であった。コメダは翌1969年4月23日に37歳という若さで死亡。結果的にコメダを死に追いやったフラスコは、ポランスキーに呼ばれる前に住んでいたドイツに戻り、コメダの死のわずか2か月後に35歳で謎の死を遂げた。
ハリウッドを震撼させたシャロン・テート/ラビアンカ夫妻殺害事件
映画公開から約1年後の1969年8月9日、ロマン・ポランスキー監督宅がチャールズ・マンソンのカルト教団に襲われ、監督の妻だった女優のシャロン・テート、ヘア・スタイリストのジェイ・セブリング、監督の親友ヴォイテック・フライコウスキー、その恋人で有名コーヒーブランド「フォルジャーズ」の社長令嬢アビゲイル・フォルジャーが惨殺される「テート・ラビアンカ殺人事件」が起きた。亡くなったシャロン・テートも劇中のローズマリー同様、当時妊娠8か月の妊婦だった。
シャロン・テートは、1969年8月9日に、狂信的カルト指導者チャールズ・マンソンの信奉者たちによって妊娠8か月の身重の身で、たまたま自宅に訪れていた友人とともにロサンゼルスの自宅で殺害され、その事件は犯罪史上未曽有の猟奇的殺人事件として全米を震撼されることとなった。
1969年8月9日未明、シャロン・テートが妊娠8か月の身重な体をズタズタに切り裂かれ、ハリウッドの自宅で友人4人とともに惨殺された。玄関のドアにはテートの血液で“Pig”(ブタ)の文字が残され、5人の死体の合計の刺し傷は102を数えた。
シャロン・テートの身重な体を16回も刺した上、お腹から赤ちゃんを取り出すというその残虐さには全米市民が震撼した。
1969年末に逮捕されたのは悪名高いチャールズ・マンソンとその信者=ファミリー約20人。殺人の実行犯はマンソンに盲従する20歳前後の女性を中心としたファミリーのメンバーだった。
シャロンは家を訪ねていた有名ヘアデザイナーのジェイ・セブリングと共に一本のロープの両端をクビに巻きつけられ、天井から吊り下げられていた状態だったという。しかも背中と胸をナイフで滅多斬りにされて……さらにコーヒー王フォルジャー家の跡取り娘アビゲール、作家で写真家のボイテク・フリコースキの死体は庭の芝生の上に、最後の被害者スティーヴ・ペアレントの死体は車の前部でうずくまっているように発見された。
全部で死体は五つ。他の三人が射殺だったのに対し、シャロンと彼女の元恋人として知られるセブリングが最も陰惨に、なにか宗教儀式的なものを感じさせる形で殺害されていたのだ。
引用元: 【前編】ワンハリのシャロン・テート殺害事件、50年前どう報じられてたのか? – SCREEN ONLINE(スクリーンオンライン)
ポゼッション(2012年)
映画『ポゼッション』予告編
『ポゼッション』(The Possession)は、2012年制作のアメリカ合衆国のホラー映画。サム・ライミが製作を手がけ、「呪いの箱」にまつわる実話を題材に描くホラー。
妻と離婚し、週末ごとに2人の愛娘と過ごす中年男クライドは、とあるガレージセールでアンティークの木箱を購入して以来、次女エミリーに異変が起こっていることに気づく。その箱に異常な執着心を示すエミリーは、徐々に性格が凶暴になっていき、奇行をエスカレートさせていく。我が子の変貌ぶりに危機感を覚えたクライドは調査を開始するが、時すでに遅く、エミリーの体には恐ろしい“何か”がとり憑いていた。
主演俳優のジェフリー・ディーン・モーガンは、映画で霊が出るシーンを撮影していた時の事、完全に締め切った部屋に冷たい風が吹き込むのを感じたり、訳もなく電球が割れたりする事が度々あった。それ以上に彼の感じた最も恐ろしい体験とは、撮影に使用していた悪魔を封じ込める箱 「ディビューク」を収めていた倉庫が突如炎上したことである。
「その箱を開けてはいけない」のキャッチコピーでおなじみのディビュークの箱だが、実はこの箱、レプリカではなく「本物」と言われているものを協力者に借りて映画に使用したそうだ。撮影スタッフは誰一人として、その箱に好き好んで近づく事は無かったという。
引用元: 背筋がゾッとする。映画撮影中に本当に起きた不可解な現象、10の呪い : カラパイア
死霊館(2013年)
映画『死霊館』予告1【HD】 2013年10月11日公開
『死霊館』(原題: The Conjuring)は、2013年制作のアメリカ合衆国のホラー映画で、死霊館シリーズの第1作目となる作品である。『悪魔の棲む家』で有名なアミティヴィル事件など多くの超常現象を調査・解明してきた、アメリカでは非常に有名な超常現象研究家のウォーレン夫妻が、これまでに調査したものの中で「最も邪悪で恐ろしい事例」としてこれまで封印してきた、1971年に体験した衝撃の事件を基に描く。
この映画は本当に呪われていると言われている家を舞台に撮影が行われた。この家を中心とした怪現象が起き始めたのは、家の元の持ち主であったキャロライン・ペロンが撮影現場に近づいた時だ。
彼女が撮影現場に足を踏み入れた瞬間、周りの木々が揺れていないにも関わらず、その場に居合わせた全員が強風を感じた。ほぼ同時にキャロラインさんは倒れこんでしまい、入院する事となった。後に彼女は「家の中から禍々しい気を感じた」と言っていたようだ。
その数日後から事態は悪化の一途を辿った。役者やスタッフが泊まっていたホテルは炎上し避難騒ぎになったり、主演女優の「ヴェラ・ファーミガ」が、夜、家で恐怖による金縛りにあって、台本を読むことができなくなったり、自宅に帰りノートパソコンを開けると巨大な三本の爪を持った生き物が引っ掻いたかのように画面が裂かれていることを発見して、彼女は恐怖で震えあがったのだ。
悪魔の棲む家 (2005年リメイク版)
1974年、ロングアイランド、アミティヴィルの家で、この家の長男ロナルド・デフェオ・ジュニアが、両親、ふたりの弟、ふたりの妹を次々と惨殺した。全員ベッドでうつぶせの状態で発見され、抵抗した跡は見られなかった。ロナルドは、妹のドーンを始め、全員をどのように殺していったか、細かく説明し、すべての殺人で有罪となった。
引用元: ホラーは現場で起きていた。恐怖映画撮影中に起きた14の怪奇現象・恐ろしい出来事 (2017年7月6日) – エキサイトニュース(6/10)
2005年のリメイク版「悪魔の棲む家」は、1979年のオリジナル版に基づいた作品である。撮影が始まる少し前、漁師の死体が映画セットに転がっていた。そして主演のライアン・レイノルズは寝ることができなくなったと苦しんでいた。実際、彼は毎晩決まった時間、デフェオ一家が惨殺された真夜中過ぎに必ず目覚めてしまうと言っていた。
2005年にこの映画がリメイクされた時、映画セットの直ぐ近くで水死体が発見された。その後、主演俳優のライアン・レイノルズ含む数人のスタッフは毎晩3時に突然目が覚めてしまったのだという。この3時という時間が、実は事件発生の時間にとても近いのである。
引用元: 背筋がゾッとする。映画撮影中に本当に起きた不可解な現象、10の呪い : カラパイア
呪われた映画として有名なSFアクション / ダーク・ファンタジーほか
ザ・クロウ(クロウ/飛翔伝説) (1994年) / 主演のブランドン・リーが撮影中に銃によって事故死。
「クロウ/飛翔伝説」では、ブルース・リーの息子、ブランドン・リーが銃によって事故死。安全だったはずの銃弾がなぜか体を貫通し、これも呪いの説がささやかれた。
主演のブランドン・リーが、ほかの俳優が放った小道具の銃弾が腹部に当たり、その傷が元で死んだ。空砲で撃たれるはずが、弾丸(模擬弾)が発射されてブランドン・リーさんは死亡しました。
1993年、28歳のリーは今や伝説的になったこの映画の撮影現場にいて、帰宅するとガールフレンドが暴行されているのを発見するというシーンを撮っていた。このシーンでは弾が装填されていない撮影用の空砲銃が使われるはずだったが、どういうわけか、発砲したときに弾が発射され、リーの腹部に命中してしまった。
リーはすぐに病院に運ばれ、6時間におよぶ手術を受けたが、帰らぬ人になってしまった。
撮影初日、体の90パーセントの火傷をおい病院に運ばれたスタッフがいた。この時点で他の人間もこれから起こる災難を予期すべきだった。実際に、撮影が進むにつれ他の悲劇も起きたのだ。建設作業員が誤って自分の手にスクリュードライバーを貫通させたり、車の衝突で保管室が壊されたり、台風によってセットの大部分が壊されたりした。
引用元: 見ている人ばかりでなく出演者やスタッフを恐怖に陥れた、呪われし映画ベスト10 : カラパイア
『理由なき反抗』 (1955年) / 撮影後は事件だらけ…呪われている
『理由なき反抗』主演のジェームス・ディーンは公開の1ヶ月前に愛車のポルシェで事故を起こし死亡。ジェームズの愛車での事故死はあまりにも有名。シルバーのポルシェ・スパイダー550を走らせていたジェームス・ディーンは、前方から走ってきたフォード車に正面衝突し、首の骨を折って即死した(1955年9月30日)。
脇役のムーズを演じたニック・アダムスは、その10年後に死亡。彼は自宅のアパートで遺体として発見されるが、きちんと洋服を着ており、押し入られた後もなく、すぐ近くには電話もあった状態だったという。
錠剤の過量摂取によって死亡(36歳)。発作的な自殺として処理された彼の死亡だが、なにが彼を殺したのか、追いつめたのかという原因は未だに謎に包まれている。
共演のナタリー・ウッドは数年後に溺死。
ナタリー・ウッドは、1981年11月29日、映画『ブレインストーム』の撮影のさなか、入り江で水死しているのが発見された。43歳没。事故死とされた一方、殺されたという意見もあり、真相は謎とされている。
サル・ミネオはピザの配達人に刺殺される。のちにディーンの事故車のパーツを使った車を運転していたビバリー・ヒルズの外科医がやはり車の事故で死んでいる。
二人の医師が事故車のパーツを買い取ってレースに参加しますが、一人はタイヤが外れて事故を起こし、もう一人の車は何とレース中にスピンを起こして死亡事故を起こしてしまいます。
征服者(The Conqueror)(1956) / 220人のクルーのうち91人はガンを患う。主演俳優も胃がんで死亡。
『征服者』(The Conqueror)は1956年のアメリカ合衆国の映画。モンゴル帝国の初代皇帝であるテムジンの活躍を描いている。草原の英傑テムジンにはジョン・ウェイン、タタルの王女ボータイにはスーザン・ヘイワードを配する豪華キャスト。
撮影に関わった出演者&スタッフのうち推定91名が癌で苦しんだり、他界したりという呪われた映画と語り継がれている。撮影現場が核実験場に近かったせいか、220人のクルーのうち91人はガンを患い、主演のジョン・ウェインを含む45人がガンで亡くなった。
主役のジョン・ウェインは胃癌、ヒロイン役のスーザン・ヘイワードは複数の癌が発見された後、脳腫瘍で死去。
撮影地に選ばれたユタ州の砂漠は、1951年から3年連続で80回以上も原爆実験が行われていた場所だった。そのため役者やスタッフが撮影中に過剰な放射能を浴びたのではないかと推測もされているが、真相は闇のなか。
マトリックス(1999年) / 「マトリックスの呪い」
『マトリックス』(The Matrix)は、1999年のアメリカ映画。「マトリックス」シリーズの1作目である。1999年9月11日日本公開。
「マトリックスの呪い」といえば、当時キアヌ・リーブスの交際相手だったジェニファー・サイムによるものが多い。ジェニファーは当時キアヌとの子を身ごもっていたが、後に死産。二人はその後心に傷を負い破局したが、サイムは数年後に交通事故に会い28歳という若さでこの世を去った。キアヌ・リーブス自身もバイク事故で入院し、映画撮影中に右足を痛めるという事故を起こした。
キアヌ・リーブスとの子を身ごもってい恋人のジェニファー・サイム。1999年には、妊娠8カ月で流産。それから1年半後、今度はジェニファーが自動車事故に遭って帰らぬ人となってしまった(2001年4月2日)。
「マトリックス・リローデッド」と「レボリューション」でジー役として出演する事が決まっていた女優の「アリーヤ」は飛行機事故で亡くなる。ジー役はアリーヤを配役して撮影を進めていたが、完成前に事故死したため、ノーナ・M・ゲイが務めた。
アリーヤは、2001年サード・アルバム『アリーヤ』が発表され、映画『マトリックス リローデッド』『マトリックス レボリューションズ』の出演も決定するなど、人気が絶頂に達していた同年8月25日(1999年から交際していたボーイフレンドであったロカ・フェラ・レコードのCEO、デイモン・ダッシュと会うために予定を繰り上げたといわれている)、『Rock The Boat』のPV撮影を終え、バハマ北部にあるマーシュハーバー空港から搭乗したフロリダへ向かうセスナ402が離陸直後墜落、死去した。22歳没。事故は機体の整備不良、積載オーバー、パイロットのコカインやアルコールの吸引が原因といわれている。彼女の遺体はニューヨーク州ハーツデイルのファーンクリフ墓地に埋葬されている。
『マトリックス リローデッド』のオラクル役の「グロリア・フォスター」は映画撮影半ばで他界する等の出来事があった。
『Atuk(アトゥック)』(未公開) / 呪われたハリウッド映画
『Atuk(アトゥック)』は、5人も主演オファーを受けた人物が亡くなるという悲劇が起こった映画。
1982年、まず最初にこの映画の台本を受け取ったのは、ジョン・ベルーシ。ベルーシは役を引き受けたが、薬物の多量摂取が原因で数ヶ月後に彼の死体が発見された。
数年後、スタンドアップコメディアンのサム・キニソンにこの役の話がまわった。1986年頃、サムは役を引き受けたが、台本には満足せず、書き直すよう要求し、後に裁判沙汰になっている。そのため撮影は数年休止状態だったが、結局和解し再び撮影が始まった。サムは撮影スタジオに向かう途中で車の衝突事故を起こし、1989年に亡くなる。
そして1994年、ジョン・キャンディーがこの役を依頼され、引き受けることとなった。しかしその年の終わり、彼は突然の心臓発作で亡くなった。
1997年に役を依頼されたクリス・ファーレイは契約を結ぶ前に、薬物の多量摂取で死亡している。
最後に、コメディアンのフィル・ハートマンが説得された末、この役を引き受けたが彼もまた犠牲者となってしまう。その5ヶ月後、彼は妻で女優のブリン・ハートマンによって射殺された。
5人もの命を奪ってしまった『Atuk(アトゥック)』は完全にお蔵入りとなり、アメリカ映画史上最も笑えないコメディ映画と言われるようになりました。